南三陸町のバス弾きのつぶやき<大震災その後> [ニュース・国際情勢]
地震発生2日後に書いた「巨大地震発生」というエントリー。
その中で、去年のツイッターオケ(粒谷区立管弦楽団「サジタリウス」)のコントラバス弾きの中に、宮城県南三陸町の人がいると書きました。
発生直後にツイッターに投稿していたので、無事であることは確認できていたのですが、その「つぶやき」を採録・紹介してみます。
(数字は年月日・時刻)
まずは発生直後。
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[2011.03.11 15:11]
「これはシャレにならんぞ。 」
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[2011.03.11 15:16]
「とりあえず逃げながら一枚。揺れは長かった。海面変動きてます。大津波警報発令中。」
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[2011.03.11 15:17]
「断続的に揺れてます。とりあえず高台にて身の安全は確保。」
----------------------------------
[2011.03.11 15:23]
「津波襲来中らしい。また揺れてる。」
----------------------------------
[2011.03.11 15:24]
「外で地面に立ってるのに揺れを感じる余震。」
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これが発生約38分後。
このあと「つぶやき」が中断。
携帯電話の電波が途絶えたためと思われます。
きょう(16日)未明になって、「代理」の方の手でつぶやきが投稿されました。
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[2011.03.16 01:38]
「【代理】宮城県南三陸町で津波被災しました。自分も家族も家も無事です。現在、町職員として復旧業務にあたっています。応援ありがとうございます。」
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[2011.03.16 01:46]
「【代理】仙台から代理の者がツイートしております。きょう午後、南三陸町の避難所でご本人と会って、伝言を頼まれた次第でした。」
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そして、きょう午前9時46分にご本人のつぶやきが…。
写真はそれぞれのつぶやきに添えられていたものです。
「代理」そしてご本人の投稿を受けて、「粒オケ」のメンバーをはじめ、ツイッター上には「よかった」のつぶやきがあふれました。
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[2011.03.16 09:46]
「本人です。津波直後、高台からの写真。こんな津波で町はもう跡形もありませんが、自分も家族も高台の自宅も楽器も無事です。」
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[2011.03.16 16:29]
「【南三陸町】昨夕にAUの中継局がひとつ開設されようやく自力で外部に情報発信できるようになりました。ツイッターにもようやくアクセスでき、皆さんからのたくさんの@を読み心が震えました。津波後初めて声をあげて泣きました(比喩でなく)。」
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[2011.03.16 16:43]
「【南三陸町】厳しい状況ですが、ツイッターによって支援と被支援の間の気持ちをつなぐことが自分に課せられたひとつの使命なのかもしれないと思い始めています。またなにか発信します。 」
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[2011.03.16 18:08]
「【南三陸町】現在の志津川の市街地。風が冷たいです。」
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このブログを書いている時点でのつぶやきはここまでです。(「志津川」は合併前の町名)
(ここには、ご本人のツイッターIDを載せるのは控えますが、ご興味ある方はお問い合わせください。)
ちなみに、このバス弾きの男性、座右の銘は「『暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけたい』『死ぬまで生きる』」だそうです。
粒オケの演奏会のあと、仙台でオフ会をやっていただき一緒に飲みましたが、この座右の銘からも分かるように、男気のある好漢です。
今はまだ遠いところから応援のつぶやきをすることしかできないのですが、そのうち是非具体的な支援をしたいと思っています。
というわけで、私自身はほとんど帰宅せず会社にいるのですが、自分の席を離れることができないので、ツイッターはかなりこまめにチェックしています。
以前、ツイッターはサーバーがよく落ちていたのですが、今回の地震発生以降は、ほとんどトラブルなく情報のやり取りが行われています。
もちろん、悪質なチェーンメール的な投稿の連続もあったのですが、思った以上に有用な情報のフォーマットであることが明らかになったように思います。
また、私は登録しただけであまり活用していませんが、フェイスブックも、離れた場所同士での情報交換などに役に立ったようです。
地震以降、新たにツイッターやフェイスブックを始めた人も多いようですし、新たなフォローや友達リクエストが増えています。
阪神大震災が起きた1995年は、一般の人がインターネットを使い始めたばかりでしたし、ネット上の情報交換の形態は、Eメールと、「パソコン通信」時代の流れを汲む(?)「メーリングリスト」(ML)が中心だったように思います。
それから16年たって、阪神大震災とはケタが違う大災害が起きたわけですが、ネットの力が被害軽減や復興促進に役立つよう願わずにはいられません。
ネットの力といえば、募金がクリック1つでできるのもそうかもしれませんね。
SO-NETでもウェブ上で貯まるポイントを使って募金できるということなので、ささやかながら早速寄附しました。
その中で、去年のツイッターオケ(粒谷区立管弦楽団「サジタリウス」)のコントラバス弾きの中に、宮城県南三陸町の人がいると書きました。
発生直後にツイッターに投稿していたので、無事であることは確認できていたのですが、その「つぶやき」を採録・紹介してみます。
(数字は年月日・時刻)
まずは発生直後。
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[2011.03.11 15:11]
「これはシャレにならんぞ。 」
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[2011.03.11 15:16]
「とりあえず逃げながら一枚。揺れは長かった。海面変動きてます。大津波警報発令中。」
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[2011.03.11 15:17]
「断続的に揺れてます。とりあえず高台にて身の安全は確保。」
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[2011.03.11 15:23]
「津波襲来中らしい。また揺れてる。」
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[2011.03.11 15:24]
「外で地面に立ってるのに揺れを感じる余震。」
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これが発生約38分後。
このあと「つぶやき」が中断。
携帯電話の電波が途絶えたためと思われます。
きょう(16日)未明になって、「代理」の方の手でつぶやきが投稿されました。
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[2011.03.16 01:38]
「【代理】宮城県南三陸町で津波被災しました。自分も家族も家も無事です。現在、町職員として復旧業務にあたっています。応援ありがとうございます。」
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[2011.03.16 01:46]
「【代理】仙台から代理の者がツイートしております。きょう午後、南三陸町の避難所でご本人と会って、伝言を頼まれた次第でした。」
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そして、きょう午前9時46分にご本人のつぶやきが…。
写真はそれぞれのつぶやきに添えられていたものです。
「代理」そしてご本人の投稿を受けて、「粒オケ」のメンバーをはじめ、ツイッター上には「よかった」のつぶやきがあふれました。
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[2011.03.16 09:46]
「本人です。津波直後、高台からの写真。こんな津波で町はもう跡形もありませんが、自分も家族も高台の自宅も楽器も無事です。」
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[2011.03.16 16:29]
「【南三陸町】昨夕にAUの中継局がひとつ開設されようやく自力で外部に情報発信できるようになりました。ツイッターにもようやくアクセスでき、皆さんからのたくさんの@を読み心が震えました。津波後初めて声をあげて泣きました(比喩でなく)。」
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[2011.03.16 16:43]
「【南三陸町】厳しい状況ですが、ツイッターによって支援と被支援の間の気持ちをつなぐことが自分に課せられたひとつの使命なのかもしれないと思い始めています。またなにか発信します。 」
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[2011.03.16 18:08]
「【南三陸町】現在の志津川の市街地。風が冷たいです。」
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このブログを書いている時点でのつぶやきはここまでです。(「志津川」は合併前の町名)
(ここには、ご本人のツイッターIDを載せるのは控えますが、ご興味ある方はお問い合わせください。)
ちなみに、このバス弾きの男性、座右の銘は「『暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけたい』『死ぬまで生きる』」だそうです。
粒オケの演奏会のあと、仙台でオフ会をやっていただき一緒に飲みましたが、この座右の銘からも分かるように、男気のある好漢です。
今はまだ遠いところから応援のつぶやきをすることしかできないのですが、そのうち是非具体的な支援をしたいと思っています。
というわけで、私自身はほとんど帰宅せず会社にいるのですが、自分の席を離れることができないので、ツイッターはかなりこまめにチェックしています。
以前、ツイッターはサーバーがよく落ちていたのですが、今回の地震発生以降は、ほとんどトラブルなく情報のやり取りが行われています。
もちろん、悪質なチェーンメール的な投稿の連続もあったのですが、思った以上に有用な情報のフォーマットであることが明らかになったように思います。
また、私は登録しただけであまり活用していませんが、フェイスブックも、離れた場所同士での情報交換などに役に立ったようです。
地震以降、新たにツイッターやフェイスブックを始めた人も多いようですし、新たなフォローや友達リクエストが増えています。
阪神大震災が起きた1995年は、一般の人がインターネットを使い始めたばかりでしたし、ネット上の情報交換の形態は、Eメールと、「パソコン通信」時代の流れを汲む(?)「メーリングリスト」(ML)が中心だったように思います。
それから16年たって、阪神大震災とはケタが違う大災害が起きたわけですが、ネットの力が被害軽減や復興促進に役立つよう願わずにはいられません。
ネットの力といえば、募金がクリック1つでできるのもそうかもしれませんね。
SO-NETでもウェブ上で貯まるポイントを使って募金できるということなので、ささやかながら早速寄附しました。
報道では伝えきれない、被災地からの生の声が痛いほど
伝わってきます。そんななか、ツイッターなどを利用して
励まし続ける仲間たち・・・
時に問題視されるネットの力ですが、こういうときは最大限に
有効活用して、少しでも力になってあげたいものですね。
私もSO-NETポイントで寄付しました。
by あおたけ (2011-03-17 08:58)
私たちに出来ること
本当に限られて
出来ることも少ないのですが
日本全国みんなが、見守ってる
少しでも早く、元の生活に戻れるよう
応援していきましょう。
私も、ソネットの募金いたしました。
by 八犬伝 (2011-03-17 23:24)
生々しい地震の恐怖が伝わってきますね。
私も So-net ポイントをすべて寄付しました。
by YAP (2011-03-18 07:45)
あおたけさま
今回の震災では、ツイッターが存在感を発揮したみたいですね。
よくサーバーがダウンしてたのに、このところ問題なく動いているようです。
by Lionbass (2011-03-26 12:38)
八犬伝さま
早く東北に観光に行けるような状況になるといいですね。
仙台に出張に行くくらいで、ほかはあまり行ったことなかったんですが、復興したら是非各地を回ってみたいと思います。
by Lionbass (2011-03-26 12:41)
YAPさま
インターネットを手放しで肯定はできませんが、情報を発信する上では欠かせないツールになっている感じですね。
by Lionbass (2011-03-26 12:42)
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by ShermanCoody (2021-10-30 05:46)