青函連絡船の歴史に思いを馳せる【2011青森出張記(5)】 [旅行・乗り物]
「駅構内の『食堂』でほたてカレーを食す【2011青森出張記(4)】」から続きます。
青森出張初日は、東北新幹線「はやぶさ1号」(グランクラス)と特急「スーパー白鳥15号」で到着後、お昼にほたてカレーを食べとミスタードーナツでの食後のコーヒーをいただいたところまでアップしました。
そのあとは、出張の目的である会議に出席し、夕食は懇親会(立食)でいろんな地元の海の幸・山の幸を満喫。
さらに、関西地方からの出席者とともに地元のお店に行き、田酒(でんしゅ)をちびちびやりながら珍味をいただきました。(残念ながら田酒の写真はありません。)
そして出張2日目。
朝食の席で、いろいろ意見交換したあとは、ちょっと時間があるので青森市内に出かけることに。
地元の人に見どころを聞いたのですが、「青森はあまり見るところがないですよね。三内丸山遺跡くらいしか」との話。
遺跡まで行く時間はなさそうですし、そんなに興味があるわけでもないので、前の日に青森駅構内から見て気になっていた青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を見に行くことにします。
八甲田丸の手前には「青森桟橋記念碑」が立っています。
そしてそのそばには「青函連絡船戦災の碑」も。
青函連絡船は、第二次大戦中にアメリカ軍の攻撃を受け、多くの船が撃沈されたとのこと。
北海道から石炭などを運んでいたため標的になったようです。
青函連絡船は、昭和29年(1954年)の洞爺丸台風の際にも5隻の船が遭難したそうです。
そう遠くない過去、北海道と本州を隔てる海峡で起きた悲劇に、思いをはせました。
碑を見終わっていよいよ八甲田丸に接近。
この船は、1964年から88年まで実際に青函航路で乗客や貨車を運んでいました。
左舷の乗船口から中に入ります。
扉のガラスに「グリーン船室」のステッカーがあり、そのそばにちょっとよさそうな椅子の並んだ船室があります。
青函連絡船は1往復だけ乗ったことがあるのですが、詳しいことはよく覚えていません。
たぶん、カーペット敷きの普通船室に乗ったのではないかと思います。
こちらは国鉄時代の列車の内装を思い起こさせる船内。
航海の際に鳴らされた鐘も残されています。
写真は撮っていませんが、青函連絡船の歴史を紹介するビデオを上映する部屋もあります。
こちらは寝台のある船室と船長室。
船長席(?)にマネキンが座っていて、ちょっとビックリ。
船室を出ると、船の舳先から前方を望むことができます。
かつて運航されていた鉄道連絡船の一覧表。
琵琶湖に連絡船があった話は聞いたことがありますが、大村湾(長崎県)にもあったとは知りませんでした。
そして上の階に上がると「煙突展望台」があります。
今はなき「国鉄」を表す「JNRマーク」が…。
煙突の内部はこのようになっています。
そして、展望台から青森駅方向を望みます。
それにしてもいい天気。
前日の出張1日目は雪がちらつきそうな空模様でしたが、この日はほぼ快晴です。
【舳先(北)方向】↓
【左舷(西)方向】↓
【船尾(南)方向】↓
【右舷(東)方向】↓
展望台を降りて再び船内へ。
操舵室へと来ました。
こちらは通信室。
連絡船を操縦して青森から函館に向かうゲームがあります。
(つづく)
青森出張初日は、東北新幹線「はやぶさ1号」(グランクラス)と特急「スーパー白鳥15号」で到着後、お昼にほたてカレーを食べとミスタードーナツでの食後のコーヒーをいただいたところまでアップしました。
そのあとは、出張の目的である会議に出席し、夕食は懇親会(立食)でいろんな地元の海の幸・山の幸を満喫。
さらに、関西地方からの出席者とともに地元のお店に行き、田酒(でんしゅ)をちびちびやりながら珍味をいただきました。(残念ながら田酒の写真はありません。)
そして出張2日目。
朝食の席で、いろいろ意見交換したあとは、ちょっと時間があるので青森市内に出かけることに。
地元の人に見どころを聞いたのですが、「青森はあまり見るところがないですよね。三内丸山遺跡くらいしか」との話。
遺跡まで行く時間はなさそうですし、そんなに興味があるわけでもないので、前の日に青森駅構内から見て気になっていた青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を見に行くことにします。
八甲田丸の手前には「青森桟橋記念碑」が立っています。
そしてそのそばには「青函連絡船戦災の碑」も。
青函連絡船は、第二次大戦中にアメリカ軍の攻撃を受け、多くの船が撃沈されたとのこと。
北海道から石炭などを運んでいたため標的になったようです。
青函連絡船は、昭和29年(1954年)の洞爺丸台風の際にも5隻の船が遭難したそうです。
そう遠くない過去、北海道と本州を隔てる海峡で起きた悲劇に、思いをはせました。
碑を見終わっていよいよ八甲田丸に接近。
この船は、1964年から88年まで実際に青函航路で乗客や貨車を運んでいました。
左舷の乗船口から中に入ります。
扉のガラスに「グリーン船室」のステッカーがあり、そのそばにちょっとよさそうな椅子の並んだ船室があります。
青函連絡船は1往復だけ乗ったことがあるのですが、詳しいことはよく覚えていません。
たぶん、カーペット敷きの普通船室に乗ったのではないかと思います。
こちらは国鉄時代の列車の内装を思い起こさせる船内。
航海の際に鳴らされた鐘も残されています。
写真は撮っていませんが、青函連絡船の歴史を紹介するビデオを上映する部屋もあります。
こちらは寝台のある船室と船長室。
船長席(?)にマネキンが座っていて、ちょっとビックリ。
船室を出ると、船の舳先から前方を望むことができます。
かつて運航されていた鉄道連絡船の一覧表。
琵琶湖に連絡船があった話は聞いたことがありますが、大村湾(長崎県)にもあったとは知りませんでした。
そして上の階に上がると「煙突展望台」があります。
今はなき「国鉄」を表す「JNRマーク」が…。
煙突の内部はこのようになっています。
そして、展望台から青森駅方向を望みます。
それにしてもいい天気。
前日の出張1日目は雪がちらつきそうな空模様でしたが、この日はほぼ快晴です。
【舳先(北)方向】↓
【左舷(西)方向】↓
【船尾(南)方向】↓
【右舷(東)方向】↓
展望台を降りて再び船内へ。
操舵室へと来ました。
こちらは通信室。
連絡船を操縦して青森から函館に向かうゲームがあります。
(つづく)
2011-12-03 00:17
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コメント(4)
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今はすっかり役目を終えて...
時代の移り変わりを感じます。
by YAP (2011-12-03 07:43)
先日青森に出かけた友人もやはり八甲田丸を訪れたそうです。昭和のオヤジにとって青森というと連絡船なんですね。
by サットン (2011-12-03 16:35)
YAPさま
船の旅、子どものころを含めなんどかしたことがありますが、なかなかいいものですよね。
また久しぶりにのんびり船旅してみたいものです。
by Lionbass (2011-12-04 11:06)
サットンさま
先日は高松駅構内で「連絡船うどん」というお店に入りました。
「連絡船」という響きが郷愁を誘うような気がします。
by Lionbass (2011-12-04 11:07)