《旅の総括》『ポーランドの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(35)】 [旅行・乗り物]
「《旅の総括》『音楽』について【2015欧州3カ国旅行記(34)】」から続きます。
去年9月の旅の総括は「交通と宿」「音楽」に続き「歴史」ですが、まずは「ポーランドの歴史」について。
「ポーランド」という国名は「平原の国」という意味だそうですが、西にドイツ、東にロシアという強国・大国に挟まれて、歴史上、たびたび侵略を受け、支配されてきました。
前回も触れたポーランドが誇る「ピアノの詩人」、ショパンは1810年にワルシャワ近郊で生まれました。
まだベートーヴェンが存命・活躍していた時代です。
ショパンは20歳の時にワルシャワを離れ、その後は一度もポーランドに戻りませんでした。
当時ポーランドは実質上ロシアの支配下にあり、ショパンが出国した直後の1830年11月にロシアに対する反乱が起きましたが、鎮圧されました。
ショパンは帰国して反ロシアの動きに加わろうとしたものの、家族や周囲の説得により思いとどまったということです。
写真はワルシャワにあるショパン博物館ですが、この中にも、こうしたショパンの経歴・足跡に関する展示がありました。
ポーランドでは19世紀中になんども反乱が起きますが、そのたびにロシアやプロイセン、オーストリアなどにより鎮圧されたそうです。
その後、20世紀に入って第一次世界大戦の結果、ポーランドはようやく独立。
私の楽器"Lionbass"のラベルにある「1922年」は、ポーランドが独立国としての地位にありました。
しかし、ナチスドイツが1939年9月にポーランドに侵攻。
第二次大戦の口火を切りました。
ポーランドの国土はドイツ、ソ連、リトアニア、スロバキアの4カ国に分割占領されました。
市民はナチスの弾圧に苦しみ、多くのユダヤ人が(そしてユダヤ人以外のポーランド人も)強制収容所に送られました。
ポーランド国内にはナチスの収容所が何カ所も造られました。
下の写真はルブリン市内にあるマイダネク収容所です。
そして、大戦末期の1944年8月、ワルシャワ市民はナチスドイツに対して蜂起しました。
当時、ナチスドイツは長引く戦争で戦力が低下。
一方、東からワルシャワに迫りつつあったソ連軍は、ポーランド国民に対しドイツに対する反乱を呼びかけていたそうです。
この「ワルシャワ蜂起」は当初は戦果をあげていましたが、ドイツ軍は態勢を立て直して反撃。
蜂起軍の旗色は次第に悪くなっていきますが、当てにしていたソ連軍の加勢は得られませんでした。
これは、すでに戦後の勢力争いを見越したソ連軍が、戦力温存のために事態を傍観していたためだといわれています。
そして、蜂起が鎮圧されると、ナチスドイツは「懲罰」としてワルシャワ市街を徹底的に破壊しました。
こうした歴史は「戦場のピアニスト」など多くの映画の題材となっています。
下の写真はワルシャワの市街地ですが、そのほとんどは大戦で瓦礫と化していたものを戦後に修復したものだそうです。
第二次大戦後は、事実上ソ連の支配下で共産主義体制が続きましたが、1980年代に「自主管理労組『連帯』」が台頭して、冷戦終結の前触れとなりました。
19世紀と20世紀に限っても、ポーランドが経験してきた歴史の過酷さは想像を絶するものがあります。
このブログには政治的なことは書かないことにしているんですが、「外国から侵略される」ということの意味を考えざるをえないですね。
(つづく)
去年9月の旅の総括は「交通と宿」「音楽」に続き「歴史」ですが、まずは「ポーランドの歴史」について。
「ポーランド」という国名は「平原の国」という意味だそうですが、西にドイツ、東にロシアという強国・大国に挟まれて、歴史上、たびたび侵略を受け、支配されてきました。
前回も触れたポーランドが誇る「ピアノの詩人」、ショパンは1810年にワルシャワ近郊で生まれました。
まだベートーヴェンが存命・活躍していた時代です。
ショパンは20歳の時にワルシャワを離れ、その後は一度もポーランドに戻りませんでした。
当時ポーランドは実質上ロシアの支配下にあり、ショパンが出国した直後の1830年11月にロシアに対する反乱が起きましたが、鎮圧されました。
ショパンは帰国して反ロシアの動きに加わろうとしたものの、家族や周囲の説得により思いとどまったということです。
写真はワルシャワにあるショパン博物館ですが、この中にも、こうしたショパンの経歴・足跡に関する展示がありました。
ポーランドでは19世紀中になんども反乱が起きますが、そのたびにロシアやプロイセン、オーストリアなどにより鎮圧されたそうです。
その後、20世紀に入って第一次世界大戦の結果、ポーランドはようやく独立。
私の楽器"Lionbass"のラベルにある「1922年」は、ポーランドが独立国としての地位にありました。
しかし、ナチスドイツが1939年9月にポーランドに侵攻。
第二次大戦の口火を切りました。
ポーランドの国土はドイツ、ソ連、リトアニア、スロバキアの4カ国に分割占領されました。
市民はナチスの弾圧に苦しみ、多くのユダヤ人が(そしてユダヤ人以外のポーランド人も)強制収容所に送られました。
ポーランド国内にはナチスの収容所が何カ所も造られました。
下の写真はルブリン市内にあるマイダネク収容所です。
そして、大戦末期の1944年8月、ワルシャワ市民はナチスドイツに対して蜂起しました。
当時、ナチスドイツは長引く戦争で戦力が低下。
一方、東からワルシャワに迫りつつあったソ連軍は、ポーランド国民に対しドイツに対する反乱を呼びかけていたそうです。
この「ワルシャワ蜂起」は当初は戦果をあげていましたが、ドイツ軍は態勢を立て直して反撃。
蜂起軍の旗色は次第に悪くなっていきますが、当てにしていたソ連軍の加勢は得られませんでした。
これは、すでに戦後の勢力争いを見越したソ連軍が、戦力温存のために事態を傍観していたためだといわれています。
そして、蜂起が鎮圧されると、ナチスドイツは「懲罰」としてワルシャワ市街を徹底的に破壊しました。
こうした歴史は「戦場のピアニスト」など多くの映画の題材となっています。
下の写真はワルシャワの市街地ですが、そのほとんどは大戦で瓦礫と化していたものを戦後に修復したものだそうです。
第二次大戦後は、事実上ソ連の支配下で共産主義体制が続きましたが、1980年代に「自主管理労組『連帯』」が台頭して、冷戦終結の前触れとなりました。
19世紀と20世紀に限っても、ポーランドが経験してきた歴史の過酷さは想像を絶するものがあります。
このブログには政治的なことは書かないことにしているんですが、「外国から侵略される」ということの意味を考えざるをえないですね。
(つづく)
私はアメリカ先住民の文化に興味があるので、外からの侵略ということには考えさせられます。
by YAP (2016-01-12 08:21)
僕もブログで政治と宗教には触れないようにしていますが、
一言書きたい衝動に駆られる事が最近多くなりました(-_-;ウーン
by johncomeback (2016-01-12 11:20)
YAPさま
いろんな国・民族の歴史を知ると、日本がいかに「幸せ」だったかが分かりますね。
by Lionbass (2016-01-15 11:15)
johncomebackさま
ブログだけでなくツイッターでもフェイスブックでも、「発言」したくなることばかりです。
「声が大きい人」が多数派とは限りませんよね。
by Lionbass (2016-01-15 11:16)