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《旅の総括》『ベルリンの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(36)】 [旅行・乗り物]

《旅の総括》『ポーランドの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(35)】」から続きます。

歴史上たびたび侵略され、周囲の大国に支配されてきた「ポーランドの歴史」に続いて、「ベルリンの歴史」編です。
ドイツは、ポーランドなどから見ると侵略したり支配した側ではありますが、ベルリンという都市としてみると、冷戦期を中心に歴史の荒波に揉まれてきた歴史があります。

こちらは東西統一のシンボルとなったブランデンブルク門
統一前は壁のすぐ東側にありました。
IMG_4150ブランデンブルク門.JPG

すでに書きましたが、ベルリンを訪れたのは25年ぶりでした。
前回の訪問は1990年の夏休みで、前年に壁が崩壊し、東西間の通行が自由になっていましたが、正式な統一はまだでした。
ベルリンでレンタカーを借りて、ハンブルク、ブレーメンなどを回って、フランクフルト空港まで車で回りました。

「壁」は1961年に建設され、89年に「崩壊」したわけで、存在していた期間は28年。
これが「長い」と感じるか「その程度だったのか」と思うか、いろいろあるでしょう。
その間、「壁」を越えようとして命を落とした人は百数十人と、そんなに多くはないものの、逮捕者は数千人に上るということです。

「壁」崩壊から今年で27年になりますから、実は存在していた期間とほとんど同じです。
しかし「壁」(=「分断」)の後遺症は今でもあちこちでみられるようです。

その「壁」ですが、ベルリン市内には「歴史の証人」としてあちこちに「実物」が残されています。
こちらはマウアー通り。
IMG_4139マウアー通り壁.JPG

こちらはベルナウアー通りの「壁」。
住宅街の中にあることで、その「異様さ」が際立つような気がします。
IMG_4171壁.JPG

こちらはシュプレー川沿いにある「イーストサイド・ギャラリー」という場所。
このブレジネフ書記長(ソ連)とホーネッカー議長(東ドイツ)のキスの絵は有名です。
IMG_4180ブレジネフホーネッカー.JPG

こちらは「戦勝記念塔」
IMG_4365戦勝記念塔.jpg

デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争という3つの戦争の勝利を表しているそうですが、ヒトラーがさらに段を増やす計画もあったのだとか。

ドイツは、ヨーロッパの国々にたびたび侵攻し、第一次、第二次の両世界大戦で敗戦国となりました。
自分たちにも責任があるとはいえ、市民は歴史に翻弄されてきました。

現在、ドイツはヨーロッパにおいてますます存在感を増しています。
共通通貨ユーロの危機や、難民問題などで中心的な役割を求められています。

今回の旅行中も、そうした問題の一端を垣間見ることになりました。

(つづく)
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YAP

そうか、戦後すぐに壁ができたのだと思っていましたが、しばらく経ってからだったんですね。
最近の若い人だと、壁が壊れたときのことを知らないんですよね。
そういうときに自分の歳を実感します。
by YAP (2016-01-14 07:20) 

Lionbass

YAPさま
なんとなく「壁を越えようとして命を落とした人」はもっと多いのだと思っていました。
統一前は「一つになって強大になったドイツ」について恐れる声があったのでしょうが、現在のEUそして世界の政治・経済におけるドイツの存在感はその懸念が根拠ないものではなかったことを示しているような気がします。
by Lionbass (2016-01-17 17:52) 

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