南三陸町のバス弾きを訪ねる【東北出張記(3)】 [ニュース・国際情勢]
「気仙沼の津波被害に言葉を失う【東北出張記(2)】」から続きます。
気仙沼での『視察』を終え、その南隣の南三陸町に向かいます。
お昼どきだったので、車内でお弁当をいただきます。
気仙沼市内のお弁当店のもの。
写真のように海の幸を中心に盛りだくさんで、結構おいしくいただきました。
地元の漁業や飲食店がはやく元気になって欲しいと思いました。
途中、仮設の橋や工事の跡も生々しい道路を通り、1時間ほどで南三陸町の市街地に入ります。
(バスの窓ガラスを通しているので色合いが青みがかっています。)
多くの人が犠牲になった南三陸町役場の防災対策庁舎や志津川病院の建物が、無惨な姿をさらしていて、息をのみました。
建物の入り口付近に花などが捧げられていて、私も黙祷しました。
(物見遊山のように見えてしまうかもしれませんが、決してそのような意図はありません。今後の業務に生かすためですので、どうぞご了承ください。)
防災対策庁舎前に、チリ地震の際の津波の高さを示す標識が残されていて、複雑な気持ちになります。
そして、南三陸町の市街地を見下ろす高台からの光景。
戦争(爆撃)の後だったら、既にバラック(仮設の建物)が建ち始めている時期かもしれませんが、まだそんな段階ではないようです。
画面の中央付近をJR気仙沼線の線路が通っていたのですが、今はほとんど何も残されていません。
防災対策庁舎と志津川病院が見えます。
とにかく、「どうやって町や暮らしを再建して行くのだろう?」「今までと同じ土地に建物を建てていいのだろうか?」など、疑問は尽きませんでした。
「地元が知恵を出せ」などと言った大臣もいたようですが、やはり国として明確な指針を出さないと、始まるものも始まらないような気がしました。
被災状況を見たあと、ちょっと内陸に入ったところにある南三陸町役場の仮庁舎を訪ねます。
以前、毎日のようにツイッター上のつぶやきを転載させてもらっていた知人のコントラバス弾きに会うためです。
このバス弾きは町役場の職員で、自宅も楽器も無事だったそうですが、役場の職員にも犠牲者が出ていることもあり、業務に忙殺されているようです。
わずか5分ほどでしたが、元気そうな姿を見て、東京から持って行った福砂屋のカステラなどの差し入れを手渡し、仮庁舎を後にしました。
今回の被災地訪問で大変役に立った「復興支援地図」も1冊、差し入れとして渡してきました。
<以下追記>
実は、事前に「何か必要なものがあるか?」と聞いたのですが、「震災直後に比べれば物流はかなり改善している」ということで、特定の品物のリクエストは特にないとの答えでした。
気仙沼・南三陸を通じて、「異臭がする」「ハエが多い」「粉塵が舞っている」などの情報もあったのですが、訪問中はいずれも気になりませんでした。
(殺虫剤・防虫剤や消臭剤を持っていこうかと思ったのですが、そこまで必要に迫られてはいなかったようです。)
いずれにしても、物質的支援もさることながら、精神的支援、それも息の長い支援が必要だと思いました。
まずは被災地のことを忘れないことから始まるのかもしれません。
(つづく)
気仙沼での『視察』を終え、その南隣の南三陸町に向かいます。
お昼どきだったので、車内でお弁当をいただきます。
気仙沼市内のお弁当店のもの。
写真のように海の幸を中心に盛りだくさんで、結構おいしくいただきました。
地元の漁業や飲食店がはやく元気になって欲しいと思いました。
途中、仮設の橋や工事の跡も生々しい道路を通り、1時間ほどで南三陸町の市街地に入ります。
(バスの窓ガラスを通しているので色合いが青みがかっています。)
多くの人が犠牲になった南三陸町役場の防災対策庁舎や志津川病院の建物が、無惨な姿をさらしていて、息をのみました。
建物の入り口付近に花などが捧げられていて、私も黙祷しました。
(物見遊山のように見えてしまうかもしれませんが、決してそのような意図はありません。今後の業務に生かすためですので、どうぞご了承ください。)
防災対策庁舎前に、チリ地震の際の津波の高さを示す標識が残されていて、複雑な気持ちになります。
そして、南三陸町の市街地を見下ろす高台からの光景。
戦争(爆撃)の後だったら、既にバラック(仮設の建物)が建ち始めている時期かもしれませんが、まだそんな段階ではないようです。
画面の中央付近をJR気仙沼線の線路が通っていたのですが、今はほとんど何も残されていません。
防災対策庁舎と志津川病院が見えます。
とにかく、「どうやって町や暮らしを再建して行くのだろう?」「今までと同じ土地に建物を建てていいのだろうか?」など、疑問は尽きませんでした。
「地元が知恵を出せ」などと言った大臣もいたようですが、やはり国として明確な指針を出さないと、始まるものも始まらないような気がしました。
被災状況を見たあと、ちょっと内陸に入ったところにある南三陸町役場の仮庁舎を訪ねます。
以前、毎日のようにツイッター上のつぶやきを転載させてもらっていた知人のコントラバス弾きに会うためです。
このバス弾きは町役場の職員で、自宅も楽器も無事だったそうですが、役場の職員にも犠牲者が出ていることもあり、業務に忙殺されているようです。
わずか5分ほどでしたが、元気そうな姿を見て、東京から持って行った福砂屋のカステラなどの差し入れを手渡し、仮庁舎を後にしました。
今回の被災地訪問で大変役に立った「復興支援地図」も1冊、差し入れとして渡してきました。
<以下追記>
実は、事前に「何か必要なものがあるか?」と聞いたのですが、「震災直後に比べれば物流はかなり改善している」ということで、特定の品物のリクエストは特にないとの答えでした。
気仙沼・南三陸を通じて、「異臭がする」「ハエが多い」「粉塵が舞っている」などの情報もあったのですが、訪問中はいずれも気になりませんでした。
(殺虫剤・防虫剤や消臭剤を持っていこうかと思ったのですが、そこまで必要に迫られてはいなかったようです。)
いずれにしても、物質的支援もさることながら、精神的支援、それも息の長い支援が必要だと思いました。
まずは被災地のことを忘れないことから始まるのかもしれません。
(つづく)
味ロマン弁当内容も盛りだくさんで美味しそうですね、
このお弁当からも本当に一歩一歩ですが復興している
んだなと感じます、まだまだ先は長いですが・・・。
ところでブログの内容とは関係ありませんが本日
永福町で3000系搬入を確認しましたので
本日の夜中陸送があると思われます。
いつも日にちが変わった0時にトレーラーは出発します。
ただし今夜は台風の影響で撮影どころではないかな(汗)
ちなみに今現在も外から撮影可能です。
by ゆるキャラ (2011-07-20 18:15)
ゆるキャラさま
情報ありがとうございます。
実は私も朝の電車の中から止まっているところを確認しました。
天候次第では行ってみようかと思ってるんですが…。
by Lionbass (2011-07-20 21:37)
救助活動はもう終わりでしょうから、これからが復興への活動となりますね。
けど、どこからどうやっていけばいいのか、気の遠くなる活動だと思います。
支援も災害直後はいろいろあったのでしょうが、時間とともにしぼんでしまっていることもあるのでしょう。
ほんとうに、これからが本番というか、試されるときだと思います。
私もささやかながら自分でできそうなことをしていければと思います。
by YAP (2011-07-20 22:07)
美味しそうなお弁当の写真、ちょっとほっとしました。
最近仕事が増えて、あっという間に1日が終わり、
片付けても片付けても次のこと・・・って感じで毎日が過ぎるのですが、
役場で働いてる方は、想像する何倍も大変なんだろうなぁと想像してます。
早く国の指針とかが決まるといいのになぁと思いますね。
by junko (2011-07-21 02:10)