”ピアノの詩人”ショパンの生涯に思いをはせる【2015欧州3カ国旅行記(04)】 [旅行・乗り物]
「ワルシャワ旧市街を散策する【2015欧州3カ国旅行記(03)】」から続きます。
クラシック音楽に興味のある人にとって、ポーランドそしてワルシャワといえば「ピアノの詩人」ショパンが生まれ育った場所です。
私はピアノがほとんど弾けないのですが、それでもショパンの曲は好きですし、高校のころ家人が幻想即興曲嬰ハ短調を弾いたのを覚えています。
ショパンはフランス出身の父親とポーランド人の母親の間に生まれ、主にワルシャワで音楽教育を受けましたが、20歳のときに故郷を離れ、二度と戻ることはありませんでした。
ポーランド滞在実質1日目(夏休み2日目)は、前回紹介したワルシャワ旧市街のほか、ショパンに関係のある場所も巡りました。
こちらはワルシャワ大学の正門近くにあるショパンの暮らした家。
(この建物の2階部分がショパン一家の家だったそうです。)
ショパンの父親は大学でフランス語を教えていたということです。
こちらがワルシャワ大学の正門。
大学近くにあるコペルニクスの像。
コペルニクスは15世紀のポーランド出身。
それまでの天動説を否定し、地動説を唱えた天文学者にしてキリスト教の聖職者です。
さらに南に歩くと、こんな案内板が目に入ります。
ポーランド語は分からなくてもなんとなく分かりますね。
こちらがショパン博物館。
日曜日ということで入場無料。
(でも券売所に行ってこのカード式入場券をもらう必要があります。)
ショパンの年譜や、愛用のピアノなどが展示されています。
博物館の裏手にはフレデリック・ショパン音楽大学があります。
声楽科の学生と思われる歌声や、楽器を練習する音が聞こえます。
ここからさらに南の方へ、ワルシャワ中心街を歩きます。
天気が良く、道も結構広いので、歩くのは苦になりません。
20分あまり歩いたところで、ワジェンキ公園というワルシャワ市民の憩いの場に到着。
ここでは、夏の間、毎週日曜日にショパンの作品が演奏されていて、多くの市民が訪れています。
演奏会の会場は、公園内の池のそばにある大きなショパン像のところ。
聴衆はベンチや芝生に座って聴いています。
使っているピアノは日本製(KAWAI)ですね。
このエリアの一角にはリスト(ハンガリー出身の作曲家・ピアニスト)の像もあります。
こちらは公園のフェンスのところに掲示されているコンサートと出演者の一覧。
日本人らしき名前もチラホラ見られます。
(時系列的には前後しますが)前回紹介した昼食のポークカツレツは、この演奏会終了後、ワジェンキ公園に近いレストランでいただきました。
【写真再掲】
またマツダ・アテンザワゴンを見かけたのも公園の近くです。
【写真再掲】
ショパンは故国ポーランドを熱烈に愛していましたが、前述のように1830年にワルシャワを離れ、二度とその土を踏むことはありませんでした。
この年発生した「11月蜂起」と呼ばれるロシアに対する反乱が鎮圧されたことに関係しているという説が有力だそうです。
ショパンの曲に「革命」というエチュード(練習曲)があるのは有名です。
ポーランドは東のロシア、西のプロイセン(ドイツ)という強国に挟まれ、国土を分割されたり、支配下に入ったりと苦難の歴史を送ってきました。
ショパンという音楽家の生涯をたどるにあたっても、必然的にポーランドの歴史を考えることになります。
(つづく)
クラシック音楽に興味のある人にとって、ポーランドそしてワルシャワといえば「ピアノの詩人」ショパンが生まれ育った場所です。
私はピアノがほとんど弾けないのですが、それでもショパンの曲は好きですし、高校のころ家人が幻想即興曲嬰ハ短調を弾いたのを覚えています。
ショパンはフランス出身の父親とポーランド人の母親の間に生まれ、主にワルシャワで音楽教育を受けましたが、20歳のときに故郷を離れ、二度と戻ることはありませんでした。
ポーランド滞在実質1日目(夏休み2日目)は、前回紹介したワルシャワ旧市街のほか、ショパンに関係のある場所も巡りました。
こちらはワルシャワ大学の正門近くにあるショパンの暮らした家。
(この建物の2階部分がショパン一家の家だったそうです。)
ショパンの父親は大学でフランス語を教えていたということです。
こちらがワルシャワ大学の正門。
大学近くにあるコペルニクスの像。
コペルニクスは15世紀のポーランド出身。
それまでの天動説を否定し、地動説を唱えた天文学者にしてキリスト教の聖職者です。
さらに南に歩くと、こんな案内板が目に入ります。
ポーランド語は分からなくてもなんとなく分かりますね。
こちらがショパン博物館。
日曜日ということで入場無料。
(でも券売所に行ってこのカード式入場券をもらう必要があります。)
ショパンの年譜や、愛用のピアノなどが展示されています。
博物館の裏手にはフレデリック・ショパン音楽大学があります。
声楽科の学生と思われる歌声や、楽器を練習する音が聞こえます。
ここからさらに南の方へ、ワルシャワ中心街を歩きます。
天気が良く、道も結構広いので、歩くのは苦になりません。
20分あまり歩いたところで、ワジェンキ公園というワルシャワ市民の憩いの場に到着。
ここでは、夏の間、毎週日曜日にショパンの作品が演奏されていて、多くの市民が訪れています。
演奏会の会場は、公園内の池のそばにある大きなショパン像のところ。
聴衆はベンチや芝生に座って聴いています。
使っているピアノは日本製(KAWAI)ですね。
このエリアの一角にはリスト(ハンガリー出身の作曲家・ピアニスト)の像もあります。
こちらは公園のフェンスのところに掲示されているコンサートと出演者の一覧。
日本人らしき名前もチラホラ見られます。
(時系列的には前後しますが)前回紹介した昼食のポークカツレツは、この演奏会終了後、ワジェンキ公園に近いレストランでいただきました。
【写真再掲】
またマツダ・アテンザワゴンを見かけたのも公園の近くです。
【写真再掲】
ショパンは故国ポーランドを熱烈に愛していましたが、前述のように1830年にワルシャワを離れ、二度とその土を踏むことはありませんでした。
この年発生した「11月蜂起」と呼ばれるロシアに対する反乱が鎮圧されたことに関係しているという説が有力だそうです。
ショパンの曲に「革命」というエチュード(練習曲)があるのは有名です。
ポーランドは東のロシア、西のプロイセン(ドイツ)という強国に挟まれ、国土を分割されたり、支配下に入ったりと苦難の歴史を送ってきました。
ショパンという音楽家の生涯をたどるにあたっても、必然的にポーランドの歴史を考えることになります。
(つづく)
Lionbassさんにぴったりの旅ですね。
by YAP (2015-10-02 08:24)
YAPさま
大人になってから「まじめにピアノを勉強しておけばよかった」とずっと後悔しています。
弾ければショパンももっと身近だったと思うんですが…。
by Lionbass (2015-10-06 12:20)