Lionbassの故郷(?)ルブリン旧市街を散策する【2015欧州3カ国旅行記(07)】 [旅行・乗り物]
「路線バスでマイダネク収容所を訪れる【2015欧州3カ国旅行記(06)】」から続きます。
第二次大戦中にナチス・ドイツが建設したマイダネク強制収容所の見学を終え、バスでいったんルブリン駅に戻ったあと、今度はルブリンの旧市街に向かいます。
ルブリンは人口約35万人とそんなに大きな街ではありませんが、ポーランド東部の主要都市。
16世紀にポーランドとリトアニアが連合を組んだ「ルブリン合同」という歴史的出来事の舞台となり、長い間(200年くらい)ポーランド・リトアニア共和国の首都だったという重要な町です。
(ポーランド、リトアニアともに領域は現在とはかなり異なっていたそうです。)
そもそも、今回の旅行でなぜルブリンを訪問しようと思ったのかという話ですが、私の愛器「Lionbass」(コントラバス)の出自が(恐らく)この町だという理由です。
以前もブログにアップしたことがあるのですが、こちらがLionbassの写真。
内部にはこんなラベルが貼ってあります。
購入した際、ポーランド語だということは分かったものの、意味がまったく理解できなかったのですが、ブログにアップしたところ、会社の同僚が知り合いに聞いて解読してくれました。
原文と訳は以下の通り。
*************************
Franciszek Borowiackie
wykonal w Lublina
Roku Panskiego 1922.
----------------------
フランツィシェク・ボロヴィアツキイは
ルブリンで演奏した
主の年1922年に
*************************
(文中のwykonalの'l'は'l'に斜め線を引いた半母音、'Panskiego'の'n'はアクサンテギュが付く軟子音)
ということで、Lionbassが今から93年前の1922年、ルブリンに存在したということがこのラベルから分かるわけです。
フランツィシェク・ボロヴィアツキイがどういう人物なのかは、調べた限りでは分かっていないのですが…。
ということで、そのルブリンの街を散策しに向かいます。
歴史を感じさせる街並です。
お昼どきなので食事する場所を探します。
「ポーランド料理がいいかな」と思って探すのですが、目立つ場所にはイタリア料理店かケバブ屋さん(トルコ料理)が多くて、なかなか「これは!」と思うお店が見つかりません。
結局イタリアンへ。
ジヴィエツ・ビールを1杯。
牛肉のゴルゴンゾーラ・ソース、フライドポテト添え。
昼食のあと繁華街を歩いていると、このような看板が目につきます。
「ソリダルノスチ(連帯)」と書いてあります。
「連帯」とは冷戦終結に先立つ1980年代のポーランドの民主化で主要な役割を果たした「自主管理労組」です。
「連帯」は元々、ポーランド北部のバルト海に面した港町、グダニスクの造船所で結成されました。
(グダニスクとルブリンは直線距離で350kmくらい離れています。)
街を見ながらルブリン城に向かいます。
朝から雨が降ったりやんだりでしたが、このころから本格的に降り始めます。
こちらがルブリン城。
ルブリン城の前、一段低くなった広場があります。
1922年のルブリンの町がどんな様子だったのかよく分かりませんが、お城や旧市街の建物はもっと古くから存在しているわけです。
コントラバスを弾いた場所はこうした建物の一つだったのでしょうか…?
ひょっとしたら、お城とか教会だったかもしれませんね。
1922年というのは、第一次世界大戦が終結してまだ4年ほどで、ポーランドは独立した国家でした。
ヨーロッパ全体がそうですが、つかの間の平和を享受していた時代です。
(日本は関東大震災の前の年で、大正時代ですね。)
Lionbassがルブリンからどのような経路をたどって日本の私のところにたどり着いたのか、よく分かっていないのですが、いろいろ考えながらお城を後にしました。
(つづく)
第二次大戦中にナチス・ドイツが建設したマイダネク強制収容所の見学を終え、バスでいったんルブリン駅に戻ったあと、今度はルブリンの旧市街に向かいます。
ルブリンは人口約35万人とそんなに大きな街ではありませんが、ポーランド東部の主要都市。
16世紀にポーランドとリトアニアが連合を組んだ「ルブリン合同」という歴史的出来事の舞台となり、長い間(200年くらい)ポーランド・リトアニア共和国の首都だったという重要な町です。
(ポーランド、リトアニアともに領域は現在とはかなり異なっていたそうです。)
そもそも、今回の旅行でなぜルブリンを訪問しようと思ったのかという話ですが、私の愛器「Lionbass」(コントラバス)の出自が(恐らく)この町だという理由です。
以前もブログにアップしたことがあるのですが、こちらがLionbassの写真。
内部にはこんなラベルが貼ってあります。
購入した際、ポーランド語だということは分かったものの、意味がまったく理解できなかったのですが、ブログにアップしたところ、会社の同僚が知り合いに聞いて解読してくれました。
原文と訳は以下の通り。
*************************
Franciszek Borowiackie
wykonal w Lublina
Roku Panskiego 1922.
----------------------
フランツィシェク・ボロヴィアツキイは
ルブリンで演奏した
主の年1922年に
*************************
(文中のwykonalの'l'は'l'に斜め線を引いた半母音、'Panskiego'の'n'はアクサンテギュが付く軟子音)
ということで、Lionbassが今から93年前の1922年、ルブリンに存在したということがこのラベルから分かるわけです。
フランツィシェク・ボロヴィアツキイがどういう人物なのかは、調べた限りでは分かっていないのですが…。
ということで、そのルブリンの街を散策しに向かいます。
歴史を感じさせる街並です。
お昼どきなので食事する場所を探します。
「ポーランド料理がいいかな」と思って探すのですが、目立つ場所にはイタリア料理店かケバブ屋さん(トルコ料理)が多くて、なかなか「これは!」と思うお店が見つかりません。
結局イタリアンへ。
ジヴィエツ・ビールを1杯。
牛肉のゴルゴンゾーラ・ソース、フライドポテト添え。
昼食のあと繁華街を歩いていると、このような看板が目につきます。
「ソリダルノスチ(連帯)」と書いてあります。
「連帯」とは冷戦終結に先立つ1980年代のポーランドの民主化で主要な役割を果たした「自主管理労組」です。
「連帯」は元々、ポーランド北部のバルト海に面した港町、グダニスクの造船所で結成されました。
(グダニスクとルブリンは直線距離で350kmくらい離れています。)
街を見ながらルブリン城に向かいます。
朝から雨が降ったりやんだりでしたが、このころから本格的に降り始めます。
こちらがルブリン城。
ルブリン城の前、一段低くなった広場があります。
1922年のルブリンの町がどんな様子だったのかよく分かりませんが、お城や旧市街の建物はもっと古くから存在しているわけです。
コントラバスを弾いた場所はこうした建物の一つだったのでしょうか…?
ひょっとしたら、お城とか教会だったかもしれませんね。
1922年というのは、第一次世界大戦が終結してまだ4年ほどで、ポーランドは独立した国家でした。
ヨーロッパ全体がそうですが、つかの間の平和を享受していた時代です。
(日本は関東大震災の前の年で、大正時代ですね。)
Lionbassがルブリンからどのような経路をたどって日本の私のところにたどり着いたのか、よく分かっていないのですが、いろいろ考えながらお城を後にしました。
(つづく)
Lionbassさんにとっては、特別な町で訪問するという願いが叶ったのですね。
ドイツの町並みとよく似ているように見えます。
by YAP (2015-10-14 08:15)
楽器の中のメモをたよりに、彼の地を訪れる。
・・・ジャック・フィニイの小説のような☆素敵なお話です。
ルブリン城、城塞都市(?)舞台も素晴らしい!
あぁ・・・うるうる感動しています。
by hanamura (2015-10-14 20:51)
YAPさま
そうなんです。
ようやく念願が叶いました。
10年以上「行きたい」と思ってました。
by Lionbass (2015-10-17 18:50)
hanamuraさま
ありがとうございます。
ジャック・フィニイって読んだことないので、あわてて検索しました。(苦笑)
本文にも書きましたが、「自分の楽器が90年以上前にこの街にあったんだ」と考えるととても不思議な気持ちになりました。
by Lionbass (2015-10-17 18:53)